なぜ僕らは週5日も働いている? 100年前は「週15時間労働」

なんか、ずっと忙しくない?

昔より家電は増えた。ネットで買い物もできる。銀行に行かなくても振り込みできる。会議だってオンラインでできるし、今ではAIが文章を書いたり、資料をまとめたりまでしてくれる。

これだけ便利になったなら、そろそろ僕らの仕事はかなり減っていてもよさそうだ。

ところが、月曜日になると普通に仕事が始まる。そして金曜日まで続く。

なぜ僕らは、まだ週5日も働いているんだろう。

「24時間戦えますか?」から「3、4時間戦えますか?」へ

1980年代の日本には、今見るとちょっとすごい広告コピーがあった。

「24時間戦えますか?」

24時間て。寝かせてくれ。

栄養ドリンク「リゲイン」のCMで使われたこの言葉は、バブル期の企業戦士を象徴するようなフレーズになった。

ところが2014年、サントリーは同じリゲインのCMで「3、4時間戦えますか?」というコピーを使っている。時代は、長時間働くことよりも、短い時間で効率よく働く方向へ変わったというわけだ。

広告のコピーだけを見ても、日本人の「働く」の感覚はかなり変わった

では、実際の労働時間はどうなったのか。

日本人の労働時間は、ちゃんと減っている

厚生労働省の毎月勤労統計を見ると、事業所規模5人以上の常用労働者の年間総実労働時間は、1990年の2,064時間から、2025年には1,621時間まで減っている。

差は443時間。1日8時間で換算すると、約55日分だ。

30年以上の時間で見れば、日本人は確かに「働かなくなった」。少なくとも、労働時間そのものはかなり短くなっている。

ただし、この数字には注意も必要だ。パートタイムで働く人の割合が増えたことも、全体平均を押し下げている。

つまり、日本人全員が同じように443時間ラクになった、という意味ではない。

それでも大きな流れとして、労働時間が減ってきたこと自体は間違いない。

ところで、なぜ「週5日」なの?

ここで、そもそもの疑問が出てくる。

なぜ週5日なんだろう。

日本の労働基準法では、原則として「1日8時間、1週40時間」が法定労働時間になっている。

つまり法律が「週5日働け」と決めているわけではない。ただ、1日8時間働くなら、8時間×5日でちょうど週40時間。この組み合わせが、今の週5日勤務と非常に相性がいい。

週5日は自然界の法則でも、人類が昔から守ってきた伝統でもない。

制度と企業の働き方がつくった、現在の標準形だ。

昔の日本は、週6日が普通だった

戦後の1947年に労働基準法ができたとき、法定労働時間は1日8時間、週48時間だった。

8時間×6日で48時間。つまり当時は、土曜日も働く週6日勤務と相性のいい制度だった。

その後、1987年の法改正から週40時間制への移行が進み、1994年には原則40時間、1997年には一部の特例を除いて広く適用されるようになった。

僕らが「普通」と思っている週5日勤務は、実はそんなに古い常識ではない。

松下幸之助は、1965年に週休2日制を入れていた

日本企業の中で早くから週休2日制を進めた代表例が、松下電器、現在のパナソニックだ。

1965年、松下電器は週5日勤務・週休2日制を導入した。

当時の考え方を象徴する言葉が、「一日休養、一日教養」

2日の休みを、1日は体を休める日に、もう1日は自分を高める日にしようという発想だった。

休みを増やすことを「働かなくなる」と考えるのではなく、休むことや学ぶことまで含めて、仕事の質を上げようとしていたわけだ。

その約40年前、フォードも週5日にしていた

さらにさかのぼると、アメリカのフォード・モーターは1926年、工場労働者に週5日・40時間労働を導入している。しかも賃金を減らさずに、だ。

フォードには、労働者に余暇が増えれば、その時間に商品やサービスを消費するようになり、経済にもプラスになるという考えがあった。

働く時間を減らすことは、単なる福利厚生ではない。

人に自由時間を渡すこと自体が、経済を回す。

そんな発想も100年前からあった。

面白いのは、フォード自身も「1日8時間・週5日」が最終形だとは考えていなかったことだ。

つまり週5日は、最初から完成形として生まれたわけではない。

働き方改革で、残業にも上限ができた

日本では2019年から順次、働き方改革関連法による時間外労働の上限規制が始まった。

原則は月45時間、年360時間。特別な事情がある場合には例外もあるが、以前のように残業時間を事実上青天井にすることはできなくなった。

「長く働ける人が偉い」という価値観から、少なくとも制度の上では離れようとしている。

ここまでは、かなり順調だ。

週6日から週5日へ。年間労働時間も減った。残業にも上限ができた。

では、次の疑問が出てくる。

便利になった分だけ、もっと働く時間が減っていてもよくない?

約100年前、「週15時間」でいいと思った人がいた

1930年。世界恐慌の真っただ中で、イギリスの経済学者ジョン・メイナード・ケインズは、かなり大胆な未来を描いた。

技術が進歩し、生産性が上がれば、人間は必要なものをもっと少ない労働で作れるようになる。

そして約100年後には、1日3時間、週15時間ほど働けば十分になるかもしれない。

そんな未来を考えていた。

2026年の今、週15時間勤務が普通になっているかというと、もちろんそんなことはない。

AIまで出てきたのに、普通に月曜日から金曜日まで働いている。

ケインズ、外したな。

……で終わらせると、ちょっと雑だ。

でも、ケインズは全部外したのか?

週15時間にはならなかった。だから予想は大外れだった。

とも言い切れない。

僕らは週6日から週5日へ移った。年間労働時間も長期では減っている。技術が生んだ余裕の一部は、確かに「働かない時間」に交換されてきた。

ただ、ケインズが想像したほどには交換しなかった

では、残りの余裕はどこへ行ったんだろう。

ここからが面白い。

便利になった分を、全部「休み」にはしなかった

技術が進歩すると、同じものを短い時間で作れるようになる。

そこで僕らには、大きく2つの選択肢がある。

同じ量だけ作って、余った時間を休みにする。

あるいは、同じ時間働いて、もっとたくさん作る

人類は後者もかなり選んだ。

冷蔵庫が普及したから「家事が終わった。もう何もしなくていい」とはならなかった。洗濯機ができても、別の家事や仕事が増えた。

パソコンで書類が早く作れるようになれば、書類そのものが増える。
メールが一瞬で送れるようになれば、送られてくるメールも増える。

AIが資料を10分で作れるようになったら、「じゃあ今日は早く帰ろう」ではなく、「じゃああと5本作れるね」になるかもしれない。

文明が生んだ効率を、僕らは休みだけではなく、より多くの仕事、より多くの商品、より便利な生活にも交換してきた。

「普通」の基準まで、どんどん上がった

昔なら数日かかっていた返事が、今はメールなら数時間、チャットなら数分で返ってくることを期待される。

翌日配送が当たり前になれば、翌日に届かないだけで遅く感じる。ネット通販が24時間使えれば、夜中に注文しても物流は動く。

便利になると、その便利さはすぐに「贅沢」から「普通」に変わる

そして、その普通を維持するために誰かが働く。

僕がスマホをタップするだけで料理が届くとき、その便利さの裏側には、店で作る人、配達する人、アプリを作る人、決済を動かす人がいる。

文明は仕事を消すだけではなく、新しい仕事もつくる。

ここが、単純に「技術が進歩すれば仕事がなくなる」とはいかない理由のひとつだ。

海外より働いている?は、意外と簡単に言えない

労働時間の話になると、「日本人は海外より働きすぎ」という話もよく出る。

ただ、国際比較には注意がいる。

OECDの「Hours worked」は便利な統計だが、OECD自身が、国ごとにデータの出どころや計算方法が違うため、特定の年の絶対的な水準をそのまま国別ランキングのように比較するのには向かないと注意している。

つまり「日本は何位だから働きすぎ」「この国より○時間長いからダメ」と単純には言えない。

数字は、並べれば比較できるわけではない。

このへん、統計はちょっと面倒だ。でも大事だ。

じゃあ、生産性が低いから長く働くの?

もうひとつよく出るのが、日本の労働生産性の低さだ。

日本生産性本部がOECDデータをもとにまとめた2024年の時間当たり労働生産性では、日本はOECD38か国中28位だった。

ただし、これは「日本人一人ひとりの仕事が遅いランキング」ではない。

労働生産性は、働いた1時間で経済全体としてどれだけの付加価値を生み出したかを見る数字だ。
設備投資、IT活用、産業構造、価格設定、企業の仕組みなど、いろいろなものが入っている。

だから「もっと一人ひとり頑張れ」という話ではない。

むしろ逆だ。

同じ成果をもっと短い時間で出せる仕組みをつくれるか。

そこが本来の生産性の話だと思う。

じゃあ、週4日にすれば解決?

最近は週休3日制や週4日勤務もよく話題になる。

ただし、「週4日」という言葉だけでは働く時間が減ったとは限らない。

1日10時間×4日なら週40時間。これは勤務日数は減っているが、総労働時間は週5日・1日8時間と同じだ。

逆に、1日8時間×4日なら週32時間になる。

休む日を増やすことと、働く総時間を減らすことは別の話だ。

ここを分けないと、「週休3日になったのに全然ラクじゃない」ということも起こる。

そもそも「働く」って何なんだろう

ここまで調べていると、最後はこの疑問に戻ってくる。

働くって、何なんだろう。

会社に8時間いること?

朝9時に来て18時まで席に座ること?

長く会社にいた人選手権なら、それでいい。

でも、本来の仕事はたぶん違う。

誰かが困っていることを解決する。誰かが欲しいものを作る。誰かが面倒だと思っていることを代わりにやる。

その価値の一部が、お金として返ってくる。

「人のために働く」は、別に偽善じゃない

「人のために働く」と言うと、ちょっと綺麗事っぽく聞こえることがある。

でも僕は、人の役に立つことと、お金を稼ぐことは別に矛盾しないと思っている。

むしろ誰かの役に立った結果として、お金が返ってくるなら、かなり自然だ。

お客さんは欲しいものを手に入れる。働いた側は対価を受け取る。

両方が得をするから、仕事として続く

もちろん、お金にならない価値もある。家事や育児、介護、地域の活動など、お金だけでは測れない仕事はいくらでもある。

だから「稼げる=価値がある」ではない

ただ、人の役に立つことと稼ぐことを、わざわざ敵同士にしなくていい。

週5日は「完成形」ではない

週5日勤務は、人類がたどり着いた完成形ではない。

昔は週6日が普通だった。それが週5日になった。

だったら、これから週4日になる可能性だってあるし、もっと別の形になるかもしれない。

大事なのは、「何日働くか」だけではないと思う。

文明が進歩して、道具が増えて、AIまで使えるようになったなら、同じ価値をもっと短い時間で生み出せるようになることが、本来の進歩のひとつじゃないだろうか。

便利になったのに、その便利さを維持するために全員がもっと忙しくなっただけなら、少し寂しい。

技術の進歩で生まれた余裕を、会社の売上や生産量だけではなく、働く人の時間にも返していく。

その選択肢は、もっとあっていい。

週5日は、昔から決まっていた答えじゃない。

なら、これからの答えも、まだ決まっていない。